スリランカ,経済破綻と、一杯のコーヒー
- 植松 大一郎
- 2024年3月11日
- 読了時間: 6分
更新日:2024年3月14日
清田和之「スリランカ幻のコーヒー復活の真実」文芸社2023年8月発行

この本をなぜ読むか
この本は、今年の2月9日の日経新聞文芸欄に紹介された清田氏の「紅茶の島でコーヒー復活」の記事を読んで触発され、彼の書いた本を買い求めた。非常に薄い本である。いろんなところに書き溜めたような文章を一冊にしたのではと思わせられる重複や同じことをくどく説明するところもあり、読了するのに結構時間を食ってしまった。またこの本は事業が現在進行形であり、生産や販売の当事者が書いた、という点で珍しいのではないか。
スリランカ
スリランカは東南アジアではなく南アジア、インド圏である。私としてはスリランカというのは取引先の方で駐在の経験がある方からここにはアジア最古のゴルフ場があると聞いていて、一度そのゴルフ場にはいきたい、と思っていた国であった。しかしそんな話は忘れ果てていて、スリランカという魅惑的な国には一度行ってみたいとは思っていた。しかし中国のこの国への進出もあり経済破綻の国として有名になってしまった。一方で現在スリランカに入っている日本の若者も多くいるらしく、ユーチューブではスリランカの動画も結構たくさん流れている。経済的には落ち着いてきたのか、物価は高くなったが異常なほどではないよう(10から15パーセントほどアップしたようだ)であるし車は動いているし、空港も稼働しているようでアジアの普通の国のようには見える。という事はガソリンも買える状態だ。一時はガソリンスタンドに長い行列ができ、停電があったりしたようだがいまはそんなことはない。
内容、概略
セイロンティーで有名な国である。紅茶の国であるのは確かだ。しかしこの国では以前コーヒーを栽培しコーヒー大国であった歴史があるという。そういう発見から、この清田さんはこの貧しい国にコーヒーで外貨獲得の力を与えられないかと考えたようである。というのは書かれていいないが、紅茶は大手独占資本が入り込んでもはやいじれない環境にあるという事ではないか、と思う。紅茶をいまさらどのようにしてこの貧しい国を立ち直らせるかはスリランカ国として考えるべきことであり新事業ではないということだ。その上これ以上紅茶生産の伸びは期待できないだろうということだと思う。そこで、この国がかつてコーヒー大国であったこととなぜそれが紅茶大国になっているのかということを突き止めようとする。この調査の一歩が彼にコーヒーへの道を作ろうという気にさせたのである。なぜ突き止めようとしたのか、それはここがコーヒー適地であるということだ。北緯、南緯25度までがコーヒーの適地のようだ。また1000メートル級の山があればなおさらいいのである。北緯25度とは台湾の台北当たり、バングラディシュ、インド中部カラチ当たり、ドバイ、メッカを結ぶ線となる。
コーヒーの栽培
この国はポルトガル(1597年)オランダ(1658年)イギリス(1815年)の植民地となった。まずオランダの植民地時代にコーヒーの栽培が始まる。これはイエメンのアラビカ種のコーヒーが持ち込まれたようだ。モカコーヒーというのは、イエメンの紅海沿いにあるモカ港からヨーロッパ向けに出荷されたことからモカコーヒーというようだ。この地域がコーヒー発祥の地である。このコーヒーでオランダ植民地時代に世界3位になったことがあったが、ところがさび病という植物一般にある病気の一種で光合成ができないため枯れてしまう病気なのだが、そのさび病がスリランカのコーヒー園に蔓延してコーヒーはだめになった、という。1858年にはコーヒーを運ぶ鉄道までできていたが(日本より早い)、そのころイギリス領になって、イギリスはインドでの紅茶栽培の成功からスリランカも紅茶で行こうということになったようだ。(この紅茶栽培のためにイギリス人はインドのタミール人をスリランカに強制移住させたという。その数30から40万人ともいわれている。)
本当の紅茶への移行は彼の推測によればさび病はきっかけで、紅茶生産の競争力がイギリスにはあったので紅茶に特化していったようだということだ。(モノカルチャー化、マレーシアはゴム園とか)詳細は不明なるも実際コーヒーの生産地であった土地もあり、そういう工場が廃屋になった形跡もあるし、実際古い新聞にはそういう記事があるという。
フェアトレード
この事実から、コーヒーの栽培ができるのではないかと考える。さらにスリランカの貧しい人たちに対する何らかの貢献ができないかという願望からキヨタコーヒーという会社まで作りコーヒーの輸出をしてスリランカの外貨獲得に寄与したいと考えたようである。今まだ道半ばである。またこの発展途上国からのこういう一次産品を輸入するのは金持ちの北の国々である。生産地は南の貧しい国々である。この資本主義の南北問題が今なお存在している事から、彼はフェアートレードということを思いつく。要するに、搾取しない関係での交易ということである。公正な貿易をしようというもの。産地の貧困を知りながら植民地的収奪を続けてきた今までの大資本とは逆に産地の育成、産地の産業を助ける意図での交易ができることを目指すものだ。小農民の所得向上、コミュニティーの形成、良質豆の生産とフェアートレードの啓もう、小農民の納得する価格での購入、プランテーションでの自然林の伐採をしない、自然を残しながらの栽培とする。こういうことを目指しているようだ。(本書125ページ)
この本の面白さ(1)
この本の面白さは、この清田さんはすでに77歳、経歴を見ると再春館製薬所専務その他の仕事もしておられるのか、不明も、十分功成り遂げた方がこういう仕事にも精を出されるということ自体がおもしろい。さらに私の興味のあるのは、やはり収奪され続けたアジアの国々の問題をこういうことから解決していくのか、というテーマだ。そのうえで政治ではない実業からの解決である。ビジネスを通じて、なんとかしたいという非常に高い理念がある。これは他のブログでも書いてきた鶴見良行やそのグループによる一連の本、ナマコとかバナナ、エビなどから世界の資本主義を見つめなおすような作業とおなじだ。非常に面白いところをついている。このコーヒーや紅茶の歴史には、背景に奴隷問題、強制移住問題がある。そのことにも彼は触れているが、消費地は産地のことを何も知らないという。その通りだろう。今もなお産地の人々は苦しい生活を強いられている。こういう背景のなかにコーヒーがあることを示し、何とか解決したいという気持ち、いい本にめぐり合わせたなという感じはする。(コーヒーの値段が急激下がった時に出されたイギリスNGOの「MUGGED COFFEE CUP」という報告書がある。WEBで参照できる。)
この本の面白さ(2)
ついでにもう一つ、私が会社に勤めていたころ(8,9年前)、セブンイレブンが一杯100円のコーヒーを販売し始めた。この時のコーヒーが香りの強いアラビカ種ということだった。輸入は三井物産と聞いていた。しかしこのコーヒーは評判がよく日本全体のセブンイレブンで売れに売れた。我々の会社ではこのコーヒーのカップの蓋用のスチレンシートの原料を扱っていた。月に何百トンも出るのである。これには驚いた。さらに他のコンビニでも一斉に真似をし始めた。その時、初めて知ったアラビカ種というものだ。このコーヒー豆の名前は印象に残っていた。さらにこのスリランカもアラビカ種である。それを現在、品種改良をした。テクパラクンという種で、これは同時期に一斉に赤い実がなる。ふつうは時期がばらばらで赤くなっていくので実を積むのは手間がかかるようだ。人手が何倍にもかかる。この新品種は省力化を推進した。手間を相当に軽減しているようだ。スリランカの王様の名前という。
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